彼を愛しながら、恋愛の苦しみから自分を救う方法

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このブログではあまり恋愛のことは書かないようにしていたのですが、最近いろいろな起業家の人と会うことが多く、中でも「自己啓発」的なメンタル系をしている人が多く、その人たちと会って話すことで、私が宗教ぽいから苦手だな〜と思っていたこのソフトの部分が、実は仕事にも恋愛にも人間関係全般にも応用できると気づき、備忘録も兼ねて恋愛にからめてここに綴ろうと思う。

ちなみにこの作業の目的は、自己発見というより、「自分がラクに生きていくため」にある。

”自分との対峙”
雑誌の編集をしていた頃、多くの有名人や成功者と会ったが、彼らの多くは毎日毎日これでもかというくらい「自分と対峙」していた。

あなたはどれくらい自分のことを分かっているだろうか?
自分の長所、好きなこと、得意なこと、自分にとっての幸せ・・・。
自分の思考パターン、今苦しんでいることの要因、心が折れてしまうポイント・・・。

これらは日々変わるものもあるだろう。これをスラスラ言語化できるには、相当に自分と対峙する必要がある。

自分の恋愛で考えてみる。
私は、相手に嫌わることを非常に恐れている。→ 不安。依存している。
私は、相手に愛されるたいと強く願っている。→ 要求、欲求。主体的ではない。
私は、「こんだけしているんだから」と頼まれないのに勝手にやって、疲弊してしまう。
私は、相手にわがままや要求がいえない。
私は、愛しすぎて相手に重いと思わせてしまう。
私は・・・・

これらの要因をひとつずつ解明していく。

「好きな相手に嫌われたくない」「好きな相手から愛されたい」と思うのは、別におかしいことではない。ただ私の場合、それ故に「私はこういなきゃ」「ラインはこう返事しなきゃ」に囚われていた。

” 囚われからの解放 ”

「こういう私でいなきゃ」と思うのは、「こういう私でなければ愛されない」「こうならないと幸せになれない」と思っていることである。これは「今の自分」の否定につながる。今の自分を否定していて、未来の自分が素敵になるはずがない。これは上昇志向とはちょっと違う。

「愛」というのは「肯定」である。自分も相手も「今のこのままでいい」と認めること。
自分の欲望のためにすることではなく、「今ここに存在しているそのものを愛すること」なのだ。

” 今の自己を肯定する ”

私は結局のところ、「愛して欲しい」が故に、彼がきっと喜ぶ言葉をメールし、彼がきっと喜ぶと料理を作り、「尽くしてきた」。

「相手の喜ぶ顔がみたい」というのは、むしろ良いことだ。だけどそれが「私のことを愛してほしいから」というのが違っていたのだ。それらの行為は相手のためといいながら、実は「自分のため」だったのだ。

それでも「相手のため」と思っているから、「こんだけやっているのに、なぜあなたは私を愛してくれないの?!」となってしまう。その「こんだけやっている」内容だって、自分の想像範囲なのに。

男女の脳は違う。特に仕事ができる男性は、自分の弱み(弱っている姿)を見せたくない、自分は与えられるより与えたい、と思っている人も多い。

なのに私は相手が風邪だと聞けば「お見舞いに行きたい」だの、「貴方のためにあれしたい」「貴方のためにこれしたい」と言ってきた。その度にきっと彼に、与えられない自分が情けないと思わせたはずだ。彼女の中ではずっとかっこいい男でいたいのに。

それも尽くさないと愛されないという「自己肯定の低さ」が原因だ。

与えるのは悪いことではない。ただそれが「無償のギブ」ではなかったことと、ニコッと笑ってありがとうといって「与えらてみる」ことができなかったやり方がちょっと違っていた。

恋愛がうまくいかないと、「あのメールが悪かったのかな」「自分のこんなところが悪いのかな」と思ってしまうことは、女性にはよくあることだけど、全部を否定するのではなく、自分を肯定しながら、「やり方がちょっと違うかったのかな」と思えばいいと思う。

私の苦しみのひとつとして、「相手を愛しすぎてしまう」ということがあった。でも愛なんてコントロールできないし、愛することは良いことではないか、という思いに苦しんでいた。

これも「愛しすぎること」は肯定していい。ただそれが依存となってしまうと、それは間違っている。

彼といると人生がより彩る。だけどそれは「彼がいないと幸せになれない」のではなくて、結局のところ「自分を幸せにするのは自分自身」なのである。これが依存なのか、依存していないかの違いではないだろうか。

” 主体性 ”

「嫌われないようにする」「振られないようにする」、これは相手が決める行動である。

そうではなくて、自分の幸せの主導権は自分で握るのである。
「この恋を終わらせる」のも「愛し続ける」のも、自分が決めること。

自分が幸せになるために。

自分が幸せで心に余裕があれば、彼が忙しくて目の前の仕事しか見えなくてちょっと連絡がこないことも、自分の都合のいい時だけにすり寄ってくることも、きっと許せる。「忙しいのに来てくれた」「彼が仕事がんばっているし、私もがんばるか!」と、足りないことに目をむけるのではなくて、彼の存在にきっと「ありがとう」と思える。

笑顔でいるということは、普段戦っている彼の癒しになれる。彼の帰ってくる場所になれる。自分が必要としているふたりの場所を作れる。

彼に会えない時間ができると、自分も忙しくして気を紛らわそうとか考えていたけど、それも悪くない方法だけど、それは結局我慢していることで、折り合いがついていなくて、ちょっと違うんだなということに気づいた。

「彼には惚れてしまった」と、そこの気持ちまで紛らわす必要なんてない。そんな無理をするから、余計に苦しくなるのだ。

「私が愛したいから彼を愛している」のだ。
「愛されたいから愛している」のではなく、「結婚してほしいから愛している」のではなく。

自分が幸せになるために、彼が必要だから。

こんな風に考えてみて、少しはあなたがラクに彼を愛し続けられたら幸いです。

そして私もずっと彼を愛し続けられるといいな。
今のありのままのわたしのままで。